経営の現場から

Chapter 1 奇跡

独立、マレーシア、東京営業所
成長の分岐点に存在した3つのキーワード

起点「モノを売る」から「技術を売る」へ

藤田

うちの会社はもともと前身の会社のエンジニア部門がスタート。お客様の工場自動化が進む中、制御システムのハードウェア、ソフトウェア両方のニーズに応えられるエンジニア部門が別会社化。最終的に京都EICとして独立したのが2001年。別会社設立が1992年だから、スタートはそこからになるよね。

村田

社長とは当時からの付き合いだから、かれこれ30年になります(笑)。社長と本部長はソフトウエア担当、私は営業技術として大手顧客の取りまとめ。当時は、それぞれ役割分担しながらやってましたよね。

足立

顧客の要望に応えるためなら、何でもやりましたね。うちの会社の「EICの工務店」という考えは、この頃の仕事の進め方が元になっているんじゃないかな。

藤田

「モノを売る」から「技術を売る」に変わったことにより、企業価値が「提案力」「解決力」になった。

お客様のものづくりの重要なところを任されるので、顧客の期待を上回る価値の提供が必要となる。また、制御の事なら何でも相談してもらえる身近な会社でいたい。その結果が、「EICの工務店」というスタンスを生んだのかもしれないね。

打破「一緒にやりたい」が実現させた「海外シェア40%」

足立

会社の転機で思い出すのは、まずは海外進出。今から30年近く前だったかな。大手硝子会社のマレーシアプラントを受注したことが、会社が進化するキッカケになったと思います。

村田

確かにそう。やれるのか?と何度も議論した記憶がある。でも、海外進出されるお客様と一緒に仕事がしたいという思いが皆強かった。あの受注をしたおかげで海外への足掛かりを掴むことができた。あの頃は日本が空洞化していく境目だったんですよね。国内は新設プラントが減ってきていた。あの選択をしなかったら今の京都EICはなかったかもしれない。

足立

5-6年の間にマレーシアだけで10プラント立ち上がりましたよね。この案件以降、海外に強い会社だという実績が出来て仕事の幅が世界に広がった。

藤田

あの受注が、うちの会社の壁を壊してくれた。目先のことを考えずに進んだことで新たな進路が開けたのは事実。売上における海外シェアは現在40%くらいだと思うが、実績数だけで見たら国内より海外の方が多くなっている。ただ、ここで忘れてはいけないのはお客様の存在。この案件も結局、お客様から声がかかったことがスタートだし、利益度外視でも取りに行ったのは、お客様との信頼関係があったから。信頼関係が海外での成功をもたらしたのだということは忘れてはいけないと思っている。

拡張「付き合いの長さ」に頼らない信頼関係の構築

村田

もう一つの転機は、東京営業所の設立だと考えますが、どう思います?

藤田

確かに、東京営業所も大きな転機だと思う。リーマンショック後の2009年。仕事が減っている中での決断だったので心配も多かったが、縁があった。東京に進出したことで、活動範囲が広がった。京都本社だけだと関西圏だけの付き合いがメインになってしまうが、東京営業所が出来て仕事が全国に広がった。外部協力会社や業務委託の方など、応援して下さる方も増えて、硝子以外の市場を取り込めるようになったのは大きかったと思う。

足立

今までの仕事のスタイルでは通用しなくなった。地域密着でやってきた当社と顧客の間には長年にわたる信頼関係が軸にあったと思います。でも、東京ではそれが通用しない。彼ら(東京の会社)から見れば、うちは京都の小さな会社に過ぎない。それなりのエンジニアリングが可能だということを示さなければいけない。プロジェクトマネジメントを行うという必要が、サービスレベルを一段上げる結果になったのでは?と思います。

村田

外から見た時の京都EICの品質評価をどう現すか?1994年度版からのISO9000シリーズの取得が功を奏した部分も大きいと思う。誰が見てもわかる品質を示せることが、日本全国というマーケットでも信頼を勝ち得る結果を生んだのでしょうね。

Chapter 2 明日

IoTなどの技術革新をどう取り入れるか?
5年先を見据えた、海外での自力ビジネス展開

革新 変わるべきものと、変わらないもの

村田

足立さんがやっている、海外ビジネスプロモーションチームは今後の京都EICを占うエポックだと思うがどうなんだろう?

足立

そうですね。硝子から硝子以外、そして海外へと広がってきましたが、次は技術革新という進化が必要だと思っています。今まで私たちは日系企業の下で海外のプラント制御のお手伝いをさせていただいてきた。でもこれからは海外から直接コンタクトしてもらえる状況を作っていきたい。そのためには、時代の流れに合わせていく必要があると思っています。

藤田

世界に目を向けた時、日本のモノづくり産業は遅れていると思う。日本には優秀な技術を持った技術者が存在する。それが日本の強みでもあり、逆にオートメーション化を遅らせている。発展途上国などの場合、技術力もなく、技術者が少ないためオートメーション化をせざるを得ない。人の力ではなく、コンピューターの力でどうやって品質や生産性を上げるか?を考え抜いている。例えば海外では、IoTを導入してのコスト削減、品質UPが時代の流れになっているが、日本ではまだそうなっていない。今私たちに求められているのは、この潮流に乗っかるだけではなく、これにどう日本のものづくりの良さを加えられるか?ということではないか。

村田

日本にあるプラントメーカーや製造業だけに頼っていると、彼らの営業力や投資に業績が左右される。今のところ我々は海外で戦う術をしらない。でも、潮流を捉えて顧客満足度を追求すれば世界は開ける。次のステージは、自力で海外でのビジネスができる土俵を作ることだね。

足立

そうです。まずは東南アジア諸国に目を向けて、タイを中心に足掛かりを作っていきます。5年、10年というスパンで京都EICという会社が海外において、自力でビジネスを展開している状態まで持っていきたいと思っています。

仲間 おもてなしの心でたどり着いたパートナーという立場

足立

先ほど社長が、お客様との信頼という言葉を話していましたが、海外での自力ビジネス展開にしても結局信頼関係の構築が大切だと思うんですよね。

藤田

そうだね。お客様が誰だろうと、京都EICに頼めば難しい課題でも解決してくれる。
こうした信頼関係をどう作るか?それしかないと思っている。

村田

うちの会社は小規模だが、付き合う会社の名前は大手が大半。彼らと直接取引出来ているのは、常に相手の要望の一つ先を見据えて全員野球で仕事をしているから。結果としてお客様からパートナーだと思っていただけているし、従業員からすれば、自分の言った意見が通りやすい。うちの社風を「風通しがよい」と言う社員がいるが、お客様とパートナーであると同時に、従業員同士も仲間という意識が強く社員同士にも信頼関係がある。

藤田

設立以来、先代社長(現会長)からきめ細かい気づかいやおもてなしの心を大切にすることを求められてきた。組織が大きくなれば維持しづらいものだが、うちはその社風を壊さず努力してきた。ここから先更に企業拡大する中、この「おもてなしの心」をどうやって維持し続けるか?が京都EIC成長のカギになってくると思う。

決意 マネジメントとしての役割と使命

藤田

色々と過去を振り返ると、自分たちの今や価値が整理されてくるね。海外進出にしても東京営業所設立にしても、縁が生んだ変化。また、その縁を生んだのはお客様だけではなく協力会社の人たちや取引先との信頼関係。今後海外において自力でビジネスを行うにしても、結局のところ海外の企業や支援機関との縁や信頼関係をどう作れるか?にかかってくる。

村田

ワンストップで技術を提供できる強みも、お客様からの要望に応える中で育まれてきましたからね。設計から機器選定、ソフトウェア開発から施工、メンテナンスまですべての工程に入り込めるのはうちの強み。海外での自力ビジネスも、この強みを活かしながら信頼を構築していくことで実現するのだと思います。

足立

まあ、それには人材が必要になってくるんですよね。これからの京都EICを担う人材をどれだけ集められるか。そして彼らをどれだけ成長させられるか。この仕事は馴染みがない。入社してすぐお客様と対峙することは難しい。一人前になるのに5年から10年はかかる。

藤田

ベースは人。応えてくれる人をどう採用し育てるか。会社としてはどうしても保守的になりがちで、壁を突き破れないところがある。自分たちで殻を作らず、破っていく必要がある。時代から取り残されないためにもね。採用ホームページの座談会として今回いろいろ話をしたが、結局のところ人がすべてという結論になるのかな。どんな会社でも成長の源泉は人材。しかし単に人が補充されていればいい、というわけではない。私たちの会社のスタンスを理解し、一緒にお客様の課題を解決したい。そう考えてくれる人を社内にどれだけ増やせるか?それが私たちマネジメントの役割であり使命なんだと思います。